私は誕生日が怖かった
なにかの本かネットで見た言葉で
「誕生日は自分がどれだけ他人から愛されているのか試されている気がする」
というのを過去に見かけました。
私はこれを見た時にすごく共感しました。
私の誕生日は夏休みで学校に行かない時期だったので自分の誕生日を祝ってくれる人は自分のことが特別に好きなんだと小学生の頃から思い込んでしまってました。
誕生日。
それは1年に1度しかない自分だけの特別な日。
でも、その考えこそが私の抱えていた孤独の一部だったんだと思います。
これを書いているのは同じ気持ちの人たちに大丈夫と言いたくて書いています。大丈夫ですよ。誕生日を祝ってもらうことが愛の全てではないです。
でも私もここまで思えるようになるのにすごく時間はかかりました。
何人からおめでとうってメールやらLINEがくるんだろう??
○○さんには誕生日に連絡したから、きっと連絡くるだろうな!
先週会った人たちには誕生日近いこと伝えてたから連絡くれるかもしれない!
なんてことを考える誕生日を何年も繰り返していました。
せっかくの誕生日なのに他人のことばかり考えて悲しい気持ちになることも多かったです。
私の中の誕生日は特別!という感情が消えてくれなくて友人たちからの連絡がない時は誰からも愛されてないと悲観することも多かったです。
だから誕生日は怖かったときもあります。
好きな人から連絡はくるだろうか?
仲が良いと思っている友人たちからは連絡がくるだろうか?
来ないということはその人にとって私の誕生日などどうでもよく認識してすらもらえない愛されてないということを勝手に思い込んで受け止めなきゃいけなくてとても辛かった。
私はこれではせっかくの誕生日なのに毎年苦しまなきゃいけなくなるし、人の愛の測り方もおかしいということに気づいているのにどうしたらいいかわかりませんでした。
何年も悩み何年も同じ苦痛を乗り越えた。
そして辿り着いた答えが
「誕生日を教えない。教えても教えたことは忘れる。」
ということでした。
こうすることで友達は誕生日を知らないんだから祝われなくて当然と思えるようになりました。
さらに誕生日に他人の愛を推し量るようなこともしなくて済んで、素直に日々もらえる愛情だけで相手との関係を良好に築くことが出来るようになりました。
誕生日は祝ってもらえると嬉しい。
それだけのものです。
祝ってもらえないと嘆く必要はないです。
祝ってもらえない=愛されてないではないですから。
1年に1度しかない日を悲しみに耐える日にするのではなくて、祝ってくれる人の愛を全身に受けて気持ちよく過ごしましょう。
そしてケーキを食べるのがいいと思います。
最後に
今日は私の誕生日です。
2人の友人とおかあさんからLINEをもらって、パートナーからはお祝いの言葉とプレゼントとケーキをもらう予定です。
私を祝ってくれる人は少ないけど、でももう昔のように自分を愛してくれる人はいないと思いながら過ごした誕生日は存在しません。
それがなにより嬉しい。
自分を祝ってくれている人の愛を全て喜びで受け止められることが嬉しい。
ハッピーバースデー自分!と心から自分にお祝い出来るようになってよかった!